創業者であるハンス・ウィルスドルフ。技術力もさることながら、やはり独自のPR戦略を巧みに利用しながらロレックスを世界有数のウオッチメーカーに育てた手腕は、時計商からスタートしたハンス・ウィルスドルフらしい戦略といえます。
創業者ハンス・ウィルスドルフがドイツのバイエルンの地に生を受けたのは1881年のことでした。12歳で両親を亡くし、学校を卒業するとすぐに時計販売会社クリオ・コンテン社に就職。ここで時計技師としてではなく、ビジネスマンとして才能を磨いたことが、後に自らが興したロレックスの発展に大きく影響したのは間違いありません。
1903年にロンドンへと移り、その2年後にウィルスドルフ&デイビス社を設立。その5年後、「創造的で世界中で誰もが発音しやすい言葉」を模索して辿り着いた「ロレックス」というブランド名が生まれたのです。
当初からスイスのエグラー社とムーヴメントの供給契約を結び、質の高い時計作りを目指したロレックスは、1910年にスイス公式精度検定で最高レベルの評価を獲得。1914年にもキュー天文台で最高賞を受けるなど、創業間もない頃から好成績を収めていました。
次にハンス・ウィルスドルフが目を付けたのは、ムーヴメントを湿気や埃から守るためのケースの開発でした。1926年、オイスター社の協力で、金属の固まりをくり貫いたケースに、ねじ込み式のリューズと裏ブタを組み合わせたオイスターケースの特許を取得。それ以前にもロレックスは防水ケースの特許を取得していましたが、このときはあまりにも完成度が高いことから、その信憑性に疑いの目を向けられることもあったといいます。
しかし、そんな疑念も科学的な試験の証明と、ある伝説的な快挙によっていっきに吹き飛んでしまったのです。1927年、ロンドンの速記記者メルセデス・グライツ嬢が、15時間15分かけてドーバー海峡を泳いで横断。泳ぎ切った彼女の腕にはロレックスのオイスターが着けられていたことは、センセーショナルに世界に伝わり、「オイスターケース=完全防水」という認識が浸透していったのです。それと同時に、各社が防水時計で技術力を競う時代がこのとき幕を開けるきっかけにもなりました。
密閉度が高くまるで牡蠣のようなところから、オイスターという名が付いたといわれています。写真は最近のものです。
オイスターケースの成功に続き、ロレックスの技術力の高さを示したのが、自動巻き機構「パーペチュアル」の発明だった。1931年に腕時計として世界初の全回転方式を達成したこの機構は、自動巻きの問題点であった巻き上げ効率を高め、腕時計の技術を飛躍的に向上させました。この機構を搭載した「オイスターパーペチュアル」は、従来の手巻き機構に自動巻き機構を重ねたもの。それを納めるために裏ブタが大きく膨れてしまったことから「バブルバック」という愛称が生まれたのです。
そして1945年に、深夜12時にカレンダーの日付け表示が瞬時に変わるデイトジャスト機構が完成。ロレックスを代表する3大機構が揃い、同年その3つを搭載して誕生した「デイトジャスト」は画期的なモデルとして世界中から賞賛されることとなりました。
1950年代から1960年代は英国探検隊のエベレスト登頂など、前人未到の挑戦が数多く記録された時代でした。ロレックスの腕時計はこれらの冒険に幾度となく携行され、成功に貢献。人類の挑戦の歴史は、同時にロレックスの性能への飽くなき探求の歴史でもあったのです。
実用性の高い腕時計を作るべくロレックスの時計を世に送り出してきた創業者ハンス・ウィルスドルフは、この1950年にひとつの完成を見たともいえます。そして彼はその成果を見届けて安堵したかのようにこの世を去ったのでした。
深夜12時に瞬時に日付けが変わる当時としては画期的なデイトジャスト機構を搭載した1950年代前半のモデル
自動巻き機構とは、半円形のローターと呼ばれる振り子が、時計を着けた腕の動きによって回転しゼンマイを巻き上げる仕組み。この分厚みがでたため、これを納めるために裏ブタが膨らんだのです。
写真は第三世代目にあたる1970年から1987年頃まで生産されたRef.6263。1961年登場の初代モデルと基本デザインはほとんど変わっていません。このモデルを最後に現行と同じデザインのRef.16520に移行することになります。
立て続けにスポーツモデルを発表し、成功を収めたロレックスは、さらなるスポーツラインの拡充を図ります。その対象となったのがクロノグラフです。当時、ブライトリングのナビタイマーやオメガのスピードマスターが登場し、大きな注目を集めていたなかで、ロレックスはクロノグラフに関してはいまだにヒット作を生み出せずにいました。
そこで目を付けたのが、カーレース用のクロノグラフでした。1959年にアメリカのデイトナビーチにスピードウェイが誕生し、24時間耐久レースがスタート。この頃、ロレックスのアメリカ市場での販売は非常に好調で、まさに千歳一隅のチャンスだったわけです。当初はレース関係者にのみ配られましたが、レーシングテイストを強く打ち出したデザインとサーキットからとった絶妙なネーミングが好評を博し、1961年に一般市場に投入されることになりました。
1970年代は性能向上への飽くなき挑戦が続く一方で、大きな逆風に晒された時代でもありました。1969年にセイコーが、月差プラスマイナス3秒以内というクォーツ式の時計を発売。驚異的な精度と低価格を武器に、日本初の腕時計が瞬く間に世界を席巻していったのです。スイスの時計産業が軒並み大打撃を受けるなかで、いかにロレックスといえどもその影響を無視できませんでした。時代の要望に応えるかのように、1978年には「オイスタークォーツ」が発売されました。しかし、クォーツの生産数は極力抑え、あくまでも機械式にこだわりました。いまとなっては、その判断が誇り高き現在の姿を支えたといっても過言ではないでしょう。
1980年代にロレックスが取り組んだのは、スポーツモデルの性能向上とリニューアルでした。1980年にはシードゥエラーの防水性能を610メートルから1220メートルに引き上げます。ヘリウムエスケープバルブも大型化し、防水性と安全性の両面で改良が図られました。1983年、GMTマスターの短針を単独可動できるようにしたGMTマスターⅡが登場。第3時間帯まで同時に計測できるようになり、利便性が増しました。デイトナが新ムーヴメントを搭載して大幅にリニューアルされたのは1988年のこと。それまでのバルジュー製ムーヴメントからハイビートで知られるゼニス製のエル・プリメロへと変更し、自動巻きモデルへと生まれ変わりました。
世界の機械式腕時計産業がクォーツショックに揺れるなか、ロレックスは実用機能、性能の向上を追求する独自のこだわりを貫きとおしました。そして、それまで培ってきた技術力は、この逆境の時代を乗り越えることで成熟され、1980年代後半からの躍進の原動力となっていくのです。
100周年を機に始まった既存スポーツモデルのリニューアル化で、まず最初に行われたのがこのGMTマスターⅡです。外装面だけでなく衝撃に強く、優れた耐磁能力を持つ新ムーヴメントを搭載するなどかなりブラッシュアップされました。
1990年代に入ると、世界的な機械式腕時計の再評価が始まりました。この波に乗り、ロレックスは過熱気味ともいえるブームによって、そのステイタス性が加速していきます。アンティークのスポーツモデルが高騰してきたのもこの頃で、日本では人気のある現行モデルが、正規店でほとんど入手困難になるような事態も招きました。
一方、エクスプローラーの再登場、高級スポーツラインであるヨットマスターの誕生など、ロレックスのラインナップは着実に充実していきます。そして2000年には10年の歳月をかけたといわれる、悲願の自社開発ムーヴメント搭載のデイトナが登場。21世紀を目前に控えた節目の年に、ロレックスも新たな時代の幕を開けたわけです。
機械式腕時計の世界的なブームとともに21世紀を迎えたロレックスは、このデイトナを筆頭に、エクスプラーラーⅠ、デイトジャストとブラッシュアップ。創業100年目の2005年にはGMTマスターⅡ、2007年にはサブマリーナデイト、そして2008年にはシードゥエラーと、ロレックスを代表する人気モデルが続々とリニューアルをはじめるなど、原点回帰を感じさせる動きを見せつつも常に進化を続け、創業者ハンス・ウィルスドルフがおよそ100年前に抱いていた実用時計への情熱とこだわりは、これらの新たに生まれる時計のなかにも脈々と受け継がれているのです。





