【最終回】好景気から一転、不透明な時代へ|平成21年〜平成31年(2009-2019)

定番化の波が日本の
時計市場を席巻する

 平成時代最後の10年間の時計市場は、活況だった前の10年間と比べると、その様相はまったく違うものだった。その要因はもちろん2008年9月のリーマン・ショックである。

 100年に1度の未曾有の経済危機と言われるほど、市場の冷え込む速さはあっという間だった。アメリカがとったドル安政策によって円高が加速。それによって日本企業の業績が次第に悪化し、リストラや派遣切りなど社会問題化する。この先行きの不透明感は時間の経過とともに強まり、買い控えなどの個人消費にも大きく影を落とした。

 当然、日本の時計市場にも影響を与えた。それまで世界第3位だった日本は、2010年には7位に後退したほどである。

国内定価越えのプレミアム価格が当たり前だったロレックスのスチールデイトナ。2008年に起きたリーマンショックを機に超円高が進行。実勢価格が抑えられたことに加え、消費マインドも冷え込んだことも影響し、堅調だったロレックス市場にも大きく影響した(POWER watch No.44、2009年1月)

 

 一方、この超円高は、時計ブームで高騰していたロレックスの実勢価格をグッと押し下げた。リーマン・ショック直前の08年8月に定価92万4000円に対して130万円強とプレミアム価格だったデイトナが、一時期とはいえ10年には90万円台まで暴落した。

 さて、この時期のスイスの時計産業に目を向けてみると、リーマン・ショックで一時的に落ち込んだものの、その後に東日本大震災に見舞われた日本とは違い2年後には回復。再び右肩上がりで躍進を続けている。ただし、ETA社のムーヴメント供給停止という大きな問題を抱えており、自社でムーヴメントを開発する必要性に迫られていたスイスの各時計メーカーは、資本力のある巨大グループの傘下に収まるなど業界の再編が再び進んだ時期だった。

一部のモノ好き向けのガジェットに過ぎなかった、いわゆるスマートウオッチが2012年以降、じわじわと時計市場に登場。特に15年に登場したApple Watchは時計業界にも大きなインパクト与え、それまで静観していた時計業界も無視できない存在になった(POWER Watch No.77、2014年7月)

 

 問題を抱えながらも好調さを維持してきたスイス時計産業だったが、15年を境に陰りが見え始める。世界的に輸出が大幅に後退したのだ。13年からの急激なスイスフラン高と中国経済の失速が影響した。そして、日本国内でも相次ぐ値上げが実施されるなど日本市場にもかなりの影響を及ぼしたのである。

市場は確実に売れる時計を求めた。その結果、一定のファンを見込める復刻時計がブランド各社で作られるようになる。その好例が2017年に発表されたオメガの1957 トリロジーコレクション。50年代の傑作をデジタルスキャニング技術を駆使し図面を復元。完璧に復刻させた

 

 16年のバーゼルワールドで発表された新製品からは、その危機感からか、技術力を誇示するような複雑系は影を潜め、消費者の需要喚起を促す、堅実的なもの作りが目立った。その具体的傾向として顕著だったのが、過去のアーカイブからの復刻と定番モデルの質の強化だった。

 さて、この時代の日本市場に目を向けると、それ以前の20年との決定的な違いは価格である。並行輸入品であれば50万円以下で買えた人気モデルもいまでは入手はかなり難しい。そのため消費者ニーズも大きく変化した。

 弊社が刊行するPOWER Watch誌で毎年1月号で実施している〝読者が選んだ欲しい腕時計〟を見ると、そのほとんどが、いわゆる〝定番〟モデルなのである。いまや新しいブランドや個性的なものへの興味は薄れ、逆に定番と言われるロングセラーモデルに支持が集中。不変さに価値を求める傾向が強まった。いまの時計市場はそれほど成熟したと言えるだろう。

 つまり、平成時代の30年間は日本の時計市場を大きく成長させた激動の時代だったと言えるのである。さて、令和時代は。。。(おわり)

【第1回】1990年代に巻き起こった3つのムーブメント|平成時代と時計市場

【第2回】機械式時計が復権を果たす|平成元年〜平成10年(1989-1998)

【第3回】個性派ブランドが牽引する|平成11年〜平成20年(1999-2008)

菊地 吉正 – KIKUCHI Yoshimasa

時計専門誌「パワーウオッチ」を筆頭に「ロービート」、「タイムギア」などの時計雑誌を次々に生み出す。現在、発行人兼総編集長として刊行数は年間20冊以上にのぼる。また、近年では、業界初の時計専門のクラウドファンディングサイト「WATCH Makers」を開設。さらには、アンティークウオッチのテイストを再現した自身の時計ブランド「OUTLINE(アウトライン)」のクリエイティブディレクターとしてオリジナル時計の企画・監修も手がける。