【東西ドイツ統一30周年特別連載】ドイツ時計の真髄|[第2回]近代化を推し進めたシュヴァルツヴァルト地方

 先週の第1回では、ドイツ時計産業の発展には、南部の“シュヴァルツヴァルト地方”とチェコ国境沿いにある小さな山あいの街“グラスヒュッテ”という2大産地が大きく寄与したものの、その内容はまったく異なるものだったと紹介した。そこで今回は、前者のシュヴァルツヴァルト地方について詳しく見ていきたい。

 シュヴァルツヴァルト地方は、別名を“黒い森(ブラック・フォレスト)”と呼ばれるほど、森林資源が豊富だった。そのためこの森林資源を有効活用して1600年代前半からケースや歯車などに木をふんだんに使用した木製クロックの製造が盛んに行われていたのである。日本の江戸時代初期に当たるため、歴史的にみてもかなり古くから産業が興ったことがわかる。

 そして、これを一躍有名にしたのが、1700年代前半に誕生した通称“鳩時計(正式にはカッコウ時計と言う)”だ。これが世界的な大ヒットを呼び、1800年代初めには、何とこの地に680以上もの大小クロックメーカーと500人以上の時計行商人が存在し、クロックを背負ってヨーロッパ中に売り歩いたと言われほど当時活況を呈していたのである。つまり、この地にいまなお老舗の高級クロックメーカーがあるのはこのような背景があったのだ。

 そして、この地でクロック製造の近代化を推し進めたのが、1861年に創業したユンハンスなのである。ユンハンスはいまでこそクロックよりもマックスビルなどバウハウスデザインで人気のウオッチメーカーだが、もともとはクロックメーカーだった。

1903年のユンハンスの工場。当時3000人が勤務した巨大な企業だった

 ユンハンスは従来の木製クロックではなく、木製のケースに金属の振り子、そしてチャイムを持つ最新のクロックを発明。南北戦争後のアメリカにそのクロックを大量に輸出して、大きな成功を収めている。そして1900年代前半には3000名の従業員を抱えて、年産300万個のクロックを生産するまでに成長したのである。

 このユンハンスの大躍進は、やがてこの地にクロックのパーツを作るサプライヤーを多く生み出した。そして、このサプライヤーの存在に刺激されるように、1800年代後半から1930年代にかけて、今度はウオッチのメーカーがこの地に誕生する。日本でよく知られる代表的なメーカーを挙げると、1882年に設立されたハンハルト、1920年代半ばのラコと27年のストーヴァ、そしてラコの兄弟会社でムーヴメントメーカーのドゥローヴェ(33年)だ。

第二次世界大戦時に爆撃機のナビゲーター用に作られた航空時計“通称Bウオッチ”。ラコはもちろん、グラスヒュッテのA.ランゲ&ゾーネやヴェンペも軍管理下のもとでまったく同じものを製造した

 そしてこれら3社は、第2次世界大戦において軍用時計製造という重要な任を担うことになる。ラコとストーヴァはA・ランゲ&ゾーネとともに、ドイツ軍のサプライヤーとなり、空軍向けの通称Bウオッチを製造。ハンハルトは38年にドイツ初の腕時計型クロノグラフを開発、これも空軍に採用された。一方のユンハンスは90%を信管の製造に当てた(これは後々の同社の基幹産業になる)。

 西ドイツ圏だったシュヴァルツヴァルト地方の時計産業は、戦後急成長を遂げた西ドイツ経済に伴って需要も回復、50年代のラコはドゥローヴェとともに1400人もの従業員を抱え、月産8万個ものムーヴメントを製造。ユンハンスはクロノメーターを年に1万本も製造するなど、クロノメーターの生産数としてはロレックス、オメガに次ぐ第3位にまで躍進した。

ラコーが1950年代後半に開発した電磁テンプ式ムーヴメントのプロトタイプ

 しかし、60年代になるとラコとドゥローヴェはタイメックスに買収され、ハンハルトも腕時計の製造を中止するなど、シュヴァルツヴァルト地方の時計産業はクロックを中心とした小規模なものへと縮小してしまう。

 ただユンハンスは違った。63年から自社ムーヴメントからETAベースに切り替え、同時に機械式時計に早くから見切りをつけた同社は、67年に電磁テンプを持つキャリバーW600を開発。70年にはクォーツムーヴメントを完成させ、72年のミュンヘンオリンピックでは公式計時を担当する。85年には世界初の電波時計“メガ1”を完成させ、世界中から注目を浴びた。

世界初の電波時計、ユンハンスの“メガ1”

 このユンハンスはもちろん、現在は、2004年にストーヴァ、ラコは10年にそれぞれ創業地であるシュヴァルツヴァルト地方のフォルツハイムで復活を遂げている。

 第3回(10月17日・土に配信予定)は、いまやドイツ高級時計の聖地とも言われるグラスヒュッテについてお届けする。

『パワーウオッチ9月号(No.113)の記事より』

菊地 吉正 – KIKUCHI Yoshimasa

時計専門誌「パワーウオッチ」を筆頭に「ロービート」、「タイムギア」などの時計雑誌を次々に生み出す。現在、発行人兼総編集長として刊行数は年間20冊以上にのぼる。また、近年では、業界初の時計専門のクラウドファンディングサイト「WATCH Makers」を開設。さらには、アンティークウオッチのテイストを再現した自身の時計ブランド「OUTLINE(アウトライン)」のクリエイティブディレクターとしてオリジナル時計の企画・監修も手がける。