芸能人の愛用時計

なべ おさみ -男の肖像時計の選択(パワーウオッチVol.43)

左のパテック フィリップは1970年代当時で「300万円はした」という逸品。右のシチズンは、1980年のゴルフ日本シリーズで優勝したジャンボ尾崎選手から寄贈された思い出の品

 

芸能界に時計好きは多いが、なべさんのコレクションは筋金入りだ。ピアジェ、ロレックス、カルティエ……。現在もさまざまな高級時計を所有しているが、どれもそれほど思い入れはないという。なべさんにとっては、パテック フィリップこそが至上の時計なのだ。

「このパテック フィリップは僕が理想とする時計で、若い頃はこれを手に入れるために頑張って働いていたような感じがする。これだけ薄いのに、精密な機械式ムーヴメントが入っていることに驚かされるよ。古い時代で防水機能には欠けるけれど、研磨や装飾の技術も高いし、とても美しい時計で、これがブレス時計の原点だね」


このパテック フィリップは僕が理想とする時計で、
若い頃はこれを手に入れるために頑張って働いたような感じがする。

昭和28年に開店した日本初のジャズ喫茶、銀座テネシーに中学2年生のなべさんも潜り込んでライブを堪能していた。そのときに出会った紳士が、パテックの魅力を教えてくれたのだという。

「あの時代にカシミアのジャケットを着ていて、漂わせている雰囲気もただならぬムードだったよ。ステージの合間の休憩時間に『ジャズ好きなのかい?』って話しかけてきたんだ。僕がシュリー・マンが好きだって言うと、“こいつやるな”って顔をしてね。いろいろなことを教えてくれたんだ。『君はこれからの人生で本物をたくさん目にしていかなきゃダメだよ。物には本物、贋物のほかに似非物というのがある。これを見分けなきゃいけない』ってね。そのときに『時計もこれが本物なんだよ』って着けていたのが、パテックの時計だったんだよね。1953年なのに60万円だって言ってた。」


日本初のジャズ喫茶、銀座テネシーで出会った紳士が教えてくれたパテックの魅力---

そこからいつかは自分もパテックをという思いが生まれ、芸能界で成功して手に入れることもできた。仕事も順調で、さまざまな高級時計や美術品も手に入れたが、91年に例の替え玉受験事件が発覚し、すべてを失う羽目になった。

「そのときに助けてくれたのが時計のコレクションだよ。仕事は全然なくなったけど、時計のコレクションを切り売りしていったおかげで何年も食えたからね。竹の子生活ってやつさ」

中古時計業界にも深いコネクションを持っており、掘り出し物があると聞けば駆けつける。価格相場の知識は本職顔負けだ。

「この雑誌も毎号読んでるよ(笑)。質屋さんにも仲がいい店があって、僕が行くと質蔵まで覗かせてくれる店が3軒ほどあるんだ。それが僕の誇りでもあるんだけどね(笑)。そんな芸能人いないよね(笑)」

 

なべおさみタレント
NABE OSAMI 1939年5月2日、東京都生まれ。明大在学中から三木鶏郎の冗談工房に在籍し、放送作家として活動。1960年には水原弘の弟子となり、のちに勝新太郎やハナ肇の弟子となっている。1964年に『シャボン玉ホリデー』のレギュラー出演者として抜擢され一躍人気を集める。その後は映画『温泉ゲリラ』『吹けば飛ぶよな男だが』をはじめ、テレビ・舞台の世界で幅広く活躍。コメディアン・俳優として地位を確立する。近著に『病室のシャボン玉ホリデー~ハナ肇、最期の29日間』(文藝春秋刊)がある。

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