【東西ドイツ統一30周年特別連載】ドイツ時計の真髄|[第1回]ドイツ時計に個性をもたらした2大産地の存在

敗戦による東西ドイツ分断で一度は消滅の危機に瀕したドイツ時計産業。1989年のベルリンの壁崩壊から目覚ましい復興を遂げる。巨大化するスイス時計には決してないゲルマン流時計作りの真髄に迫る。

 1961年の壁着工から実に28年間も続いたベルリンの東西分断は、89年11月9日の壁崩壊でその歴史に終止符が打たれた。そして、それから約1年後の90年10月3日、ドイツは東西統一を果たす。そして今年はそれから30周年というアニバーサリーイヤーだ。そこで今回から数回にわたって「ドイツ時計の真髄」と題して、あらためてドイツ時計産業の歴史を振り返りつつドイツ時計の魅力に迫ってみたいと思う。

 筆者は2013年に雑誌としてはおそらく初めてだろう。1冊丸ごとドイツ時計(腕時計)だけの情報で構成したMOOK「ドイツ腕時計(写真)」を出版し、4年にわたって4冊を刊行した。ありがたいことに現在はドイツの国立図書館にも全巻所蔵されている(寄贈してほしいと直接手紙が送られてきてのには驚いた…)。

2013年に出版したドイツ時計の専門誌「ドイツ腕時計」。4年にわたって4号まで刊行した(1〜3号が絶版)

 そして現在は当Watch LIFE NEWSの関連サイト「GERMAN WATCH.jp」として紙からWEBに移行したもののドイツ時計に特化した内容で情報発信を続けている。本連載は、これまでこれら雑誌やWEBメディアで紹介した記事をもとに一部抜粋するかたちでお届けしたいと思う。
 
 さて、ドイツ時計と聞いて一般的にはピンとこない人の方が多いかもしれない。歴史のあるドイツの高級時計メーカーでさえも、ドイツに本拠を構えて生産はしているものの、スイスの巨大資本グループに属していたりするからだろう。

 しかしながら、下の写真を見てもらうとわかるが、現在日本でドイツブランドとして展開しているのは大小合わせると実に37社(もちろんドイツには日本未上陸ブランドも多数ある)。つまり、スイスや日本とともにドイツも時計産業がとても盛んな国なのである。

 しかも、産業の歴史からすると日本以上にドイツは古い。そして、その歴史をたどると、大きく二つの産地の存在が、ドイツ時計産業を牽引してきたことがわかる。

2大産地とは、ひとつはチェコ国境の小さな山あいの町“グラスヒュッテ”。もうひとつは南部に位置(左下)するシュヴァルツヴァルト地方である(7月30日発売のパワーウオッチ113号「ドイツ時計の過去と現在」より)

 二つの産地とは、スイスに近いドイツ南部の丘陵地帯の“シュヴァルツヴァルト地方”とチェコとの国境沿いに位置する山あいの町“グラスヒュッテ”だ。もちろんこれ以外にも20世紀初頭から優れたマリンクロノメーターを製作してきた、北ドイツのハンブルグもあるが、産業としての歴史や規模からすると、先の2大産地には及ばない。そこで、この両産地を軸にドイツ時計産業の歴史を振り返っていくことにする。

 2大産地として挙げたシュヴァルツヴァルト地方とグラスヒュッテだが、同じドイツでありながらもその内容はまったく違うものだったようだ。シュヴァルツヴァルト地方は、置き時計や掛け時計などいわゆるクロックの製造が盛んに行われ、一方のグラスヒュッテは、近くに大都市“ドレスデン”があるため懐中時計など金属製ウオッチを主に製造していたのである。しかも前者は量産化を推し進め、対して後者は手作りで精密・高精度を売りにしていた。つまりこれには両産地の地理的な背景が大きく関わっていたのである。

 この地理的な背景については、第2回(10月10日・土に配信予定)からシュヴァルツヴァルト地方とグラスヒュッテをそれぞれ分けて掘り下げたいと思う。

菊地 吉正 – KIKUCHI Yoshimasa

時計専門誌「パワーウオッチ」を筆頭に「ロービート」、「タイムギア」などの時計雑誌を次々に生み出す。現在、発行人兼総編集長として刊行数は年間20冊以上にのぼる。また、近年では、業界初の時計専門のクラウドファンディングサイト「WATCH Makers」を開設。さらには、アンティークウオッチのテイストを再現した自身の時計ブランド「OUTLINE(アウトライン)」のクリエイティブディレクターとしてオリジナル時計の企画・監修も手がける。